Y子の日常と非日常

ロードバイクで痩せることはできるのか

ヘアドネーションのはなし

髪の毛を寄付したという体験談です。宜しければお付き合いくださいませー

 

[きっかけ]

元同僚が「髪の毛を寄付した」と話していたのを聞いたのは2年以上前のことです。

病気で髪の毛が抜けてしまう子供に、無償でかつらを提供する団体があるのだと。

いつかやってみたいなあと、自分の中で温めていました。

 

私の髪型は、幼少の頃から基本ショートで、長くても肩くらいまで。

成人式で振袖を着て髪を結う為だけに伸ばし、それが終わってからは10年程ずっとショートかボブでした。

ある時から願掛けで伸ばしていたけど、先日無事に目標達成することができました。

もう長い髪でいる必要はない。ようやく乾かす億劫さから解放される…!

 

いざ、断髪式、(*´∇`*)/

 

意気込んでみたものの、寄付にも色々ルールがあるでしょうし、そもそもどこに送ればいいのやら…

「髪の毛 寄付」で検索すると、いくつか団体的なものが出てきました。

 

調べるまで、ヘアドネーションって言葉を知りませんでした。

髪の毛を寄付することを言うそうです。

hair (髪)   donation(寄付)

英語そのままですね。

バカだから寄付って単語、初めて出会ったけど。

 

そして読んでいくうちに、切り方、送付方法、そもそも長さの制限があることを知る。

 

 

 

 

 

 

 

 

医療用ウィッグとして使用できる最短の長さは31cmです。

NPO法人HEROヘアドネーションプロジェクトHPより)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Σ(゚д゚lll)

 

31cmって、ちょっと長すぎじゃない!?

寄付したい気持ちはあるけど、坊主になるつもりはないよ!

 

とりあえず長さ確認のため後頭部で結んでみて測ると、結び目から先端で25cmである。

あと6cmも伸びるまで我慢できないよ…orz

 

まじかよー、と諦めきれずに他の団体のページを見てみる。

 

 


 

あるじゃん!

15cmからいいって! よかったー。私とご縁があるのはここだ。ここに寄付しよう。

 

 

[サロン選び]

自分で切るのはお勧めしないって注意書きがあったが、そもそもそんな選択肢はない。

 そして知り合いに美容師さんはいない。

つな髪サポート店になっているサロンで切ってもらうと発送までやってくれるみたいだけど、初めてのお店に行くのは勇気がいるなぁ(´・_・`)

一週間ほど迷ったあと、ダメ元でいつものサロンに電話で訊いてみることにする。

 

名乗らずに相談したから最初は断られたんだけど、新規ではなく何年も通っている顧客だと認識されてからは

店長さんに電話を取り次がれ、可能な限り対応します、と仰ってくださいました◎

諦めずに相談してみるもんだー。

 

快く対応して下さったのはこちらのサロン。東京都の、下北沢駅から徒歩3分。

[いざカット]

10年対応してもらっている美容師さんなので、「バッサリやっちゃってください!」と

ざっくり伝えるだけで理解してもらえます。ありがたや。

美容師さんに伝えるため手順書を印刷して持って行ったけど、既に同じページを予習してくださっていました。

プロ魂、すてき。

 

ヘアドネーション用にカットする際は、乾いた状態で清潔な状態が求められます。

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切る前の状態。ちょっと緊張。

 

切る前に、髪の毛をいくつかの束に結びます。今回は5束に分けてもらいました。

太く結ぶと輸送中にバラバラになってしまうんですって。

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なんだかイソギンチャクみたい…

 

そしてプロの技術でショートボブに変身しましたよ。

カット後のヘアスタイルは勿論満足! 出来上がりの写真は撮ってませんが。

 

持ち帰った髪を測定したら、約25cm。15cmの壁はクリアです!

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切り離された髪の毛

 

これをただ送るのではなく、つな髪のサイトでエントリー申し込みという手続きが必要です。

 

サイトの案内に沿って、名前、住所、電話番号、メールアドレスを入力。

同じように、必要事項を書いたメモも同梱します。

普通郵便やらレターパックで発送します。

今回はコンビニで安いレターパックが売り切れていたので、510円のレターパックを使用。

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何かの呪いみたいだけど、寄付です。

 

封をしたらポストに投函します。

この髪が、誰かのかつらになるのはいつになるのか・・・

 知ることはできませんが、いってらっしゃい! という気持ちです。

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役に立ってこい、私の髪の毛!

 

これで一通りの流れは終了。

どうですか、割と簡単だと思いませんか。

 

バッサリ断髪式! という方がいらっしゃったら、ぜひ思い出してください◎

骨髄提供のはなし

骨髄移植の話をします。
私の体験したこと、伝えたいこと、移植した患者さんがどうなったのかを書きますので、どうかお付き合い下さい。

だいたいざっくり1年程前、ご縁あって家族ではない方へ、骨髄のほんの一部をお譲りしました。
正しい名称は、非血縁者間骨髄移植。
骨髄バンクのポスターやACジャパンのCMを、誰でも一度は目にした事があるのではないでしょうか。

ドナー登録をしたきっかけは、言うの恥ずかしいんだけど、ネットサーフィンでした。
初めは何を見ていたのかもう忘れてしまったけど、リンクを渡って渡って、某大型掲示板の、白血病の妹を持つ兄がドナー登録を必死に訴えているスレに辿り着いて、
そこで見たFLASHがこちら↓
http://1234567890.jp/flash/017.html

このFLASHを作った方の妹さんは、ドナーに出会う事が出来ないまま亡くなってしまいました。
ご家族は骨髄を提供したくても型が一致しなければどうすることも出来ず、そんな状態で12年間病気と戦い続けて、病気に勝てなかった。
その時の私はどうしようもなく悲しくて感情移入して泣いてしまった。
私に出来る事はなんだろうって考えた時、とりあえずドナー登録しかないと思って、骨髄バンクのHPを細部まで確認しました。
難しい医学的なことは分からなかったけど…
ドナーになる事で体調が悪くなるだとか、死んでしまうとか、怖いとか、そういった心配はしなくて大丈夫なんだなって感じたので、まずは登録だけでもしようと決めました。

翌日彼氏と会う予定だったから、「明日献血行く時に骨髄バンクに登録するから一緒にしようよ」って内容のメールを送ると、彼はなぜ急にと戸惑いながらも同意してくれて、しっかりHPで予習してきてくれました。
献血ルームではいつも通りに血を抜いて、受付で「骨髄バンクに登録をしたいんです」と伝えて書類に必要事項を記入して、スタッフの人から詳しい説明を受けて署名をするだけで終りました
登録、手続きはとっても簡単。健康な人なら誰でも出来ることなんです。

まぁそんな経緯で骨髄バンクに登録してから2年程経った頃。
明らかに、定期的に送られてくる骨髄バンクニュースとは違う封書が届きました。
ポストから取り出した時の事、今でも鮮明に覚えてる。夜遅くに帰ってきて、チラシやDMと一緒に入ってた。
A4のオレンジ色の封筒で、「重要」「親展」「大切なお知らせです。至急開封してください。」と書いてあってただならぬ雰囲気。
ドナー側、患者側、色々な体験談を読んでいたので、すぐに分かりました。コレか、と。
緊張してあからさまに早くなる鼓動。やっぱ、そうだよね、コレだよね。
ひとまず平静になろうと、無駄に机の上を片付け初めたりする自分。
いくらか鼓動も静まった頃、それでも早めに脈拍を刻んでいる事には変わらない心臓に左手を当てながら中の書類に目を通すと、やはり想像していた通り「ドナー候補者の一人に選ばれました」の通知でした。

ドナーになる意思があるかどうか、家族の同意も確認した上で7日以内に返送して欲しい。
というのが、かなり簡単に纏めた骨髄バンクからの文面。
同封されていた『骨髄提供者となられる方へのご説明書』という30ページの冊子を熟読し、HPでは知る事の出来なかった詳細な情報、手順等を知りました。
まず自分の中で情報を消化して、それから父に話さなければ、理解してもらえない。
情報でキャパオーバーになりつつも一通り同封されていた書類へ慎重に目を通し終わると、結構な時間が経っていた気がします。

父に、どうやって話を切り出したのかは覚えていません。
ただ父は、ひたすらに難しい顔をしながら冊子を熟読し、見るからに『反対』のオーラを放っていたことはよく覚えています。
「ボールペンの芯くらいの太さの針って…」「骨に数十カ所〜百カ所以上針を刺すって書いてあるよ?」「全身麻酔!」「合併症の事例がこんなにあるのか」「最終同意に第三者の立ち会いって、相当大変な事だぞ」等々、沢山の小さな不安を書面から見つけてきては次々とぶつけてきました。
父と、父方の祖父は心臓病を煩っていて、二人とも大掛かりな心臓手術を経験しているから余計に心配だったんだと思うんです。
「なんでこんなのに登録なんかしちゃったんだろうねぇ・・・」
「だけど、私が提供しなかったら患者さん死んじゃうかもしれないよ」
「他に誰かいないの」
「適合してる人が他にいるかどうかは、教えてもらえないの。ドナーの自由意志を守るためだって。貴方だけって言われたらプレッシャーがかかるからでしょ」
「うーん・・・(非常に長い沈黙だったと思う)・・・
 明日、病院に行くからいつも診てもらってる先生に安全かどうかを訊いてみるよ」
と、一字一句合っている自信はないけど、父とはこのような会話をしました。

反対されると思っていなかったので、なんで登録なんかしちゃったんだ、という言葉はショックでした。

世間一般では、全身麻酔は危険で、骨髄移植はドナーも命がけで、痛くて、大変。
そんな認識が大半だったりするのかなぁ? と、疑問と不満を感じた夜でした。

それでも翌々日、父は同意してくれました。確か仕事中にメールで来たと思う。
病院の先生が、一通り話した後で偉い人だね、と言ってくれた事が嬉しかったと書いてありました。
「偉い」という言葉が嫌いな私はひねくれて、偉いも何もご縁ですから、健康であれば提供するのが自然の流れでしょう。っと内心思ったけど。
あれだけ反対色を全面に押し出していた父が熟孝して同意してくれたのは嬉しかった。
いや、嬉しかったって表現は違うな。安心したんだ。ひとまず、患者さんに断らなくて済むって。

次の喚問は職場です。
入院の4日間、事前の検査、採血、面談などなど、働きながら病院へ通うのはシフト休だけでは難しそうだと思ったんです。病院って、土日受け付けてくれなさそうだし。
そんなことするな、とは言わない職場だと信じていたけど、快く許可してくれた時はほっとした。
社会貢献、すごいね、偉いね…… 色々な言葉を貰ったけど、何故だか素直に受け取れなかった。
そう思うなら、皆もドナー登録しようよ。行動に移して頂けると救われる患者さんも増える可能性があるのですが。
賞賛が欲しい訳じゃない。

父と職場の同意を得られたので、ドナーになる意思があると返信封筒を投函した数日後、
骨髄バンクの担当コーディネーターが決まり、連絡を取るようになりました。

時系列で振り返ってみます。
まずは確認の血液検査、骨髄提供に関する説明を受ける。
2週間後、血液検査の結果が出て、問題なしと判断
2ヶ月後、最終ドナー選定結果が出て、複数居たであろうドナー候補者の中から本命ドナーとして選ばれる
1ヶ月後、最終同意面談。骨髄採取日決定
1週間後、健康診断
10日後、自己血採血
10日後、自己血採血
2週間後、入院
翌日、骨髄液採取
2日後、退院
2週間後、術後検診
最初に通知が来てから術後検診が終るまで、全部で6ヶ月かかりました。
移植の日を迎えるまで、患者さんはもっと長く感じただろうな。


職場には手厚い気遣いを頂いて、入院期間の前後10日間をお休みにしてくれました。
そして入院直前に「鉄分を取るべし!」と叙々苑に連れて行って下さり、皆からの寄せ書きを頂きました。
今までの人生で寄せ書きなんて貰ったこと無かったから、素直に嬉しかった。
初めての入院で、勿論初めての手術で緊張していた骨髄液採取の前夜、寄せ書きを読んで勇気をもらった。

入院中、採取手術を担当してくれた3人の先生と麻酔担当の先生、それから看護士さん達は本当に親切だった。
健康な私は、検査と手術を受ける他は暇です。テレビは好きじゃないから、小説を読むか、寝るか。1日3度のお食事も残さず美味しく頂きました。
ドナーの入院費用は患者さん負担です。全てが患者さん負担と考えると、少しだけ申し訳ない気持ちにすらなりました。

入院した日の夜=手術前夜、普段から便秘ぎみの私は夜までお通じがなかった為に泣く泣く浣腸をされます。
だけど担当してくれた看護士さんが私と同じ漫画が好きだったようでその話で盛り上がり、緊張をほぐしてくれるというプロの技を見せつけられました。

手術日の朝、病室のベッドで着替えたあと、看護士さんと歩いて手術室まで行きました。
ドラマや映画ではタイヤのついたベッドで移動しているのを見ていたけど、健康な人はそりゃ歩いて行くよな、と妙に納得をしたことを覚えています。

手術室のベッドに仰向けに寝て、色んな測定機械のセンサーを手首・足首・胸などに手早く付けられ、
マスクを被り、麻酔科医の先生(若くてイケメンなんです)が呼吸を調べてくれます。
背中側から採取するんですよね? と聞くと、寝たらみんなでよいしょって隣のベッドにうつぶせに移動するんですよ、と教えてくれた。
おでこに冷えピタのちくちくするようなものを貼付けられてから麻酔ガスを送り込まれるとすぐに視界が歪んで、
冷えピタもどきをめっちゃ手で押し付けられてもちょっと痛いくらいで意識がなくなりました。
麻酔ってすごい。朝一の手術だったのに、目が覚めたら夕方だったと思う。

目が覚めて感じたのは、腰の痛みよりも頭痛が先だった。風邪をひいた時のような感じで、実際微熱がありました。
暫くすると担当の先生が様子を見に来てくれて、採取した骨髄液は患者さんの身体に無事に入りましたよ、と教えてくれた。ひと安心だった。
誰でも術後に熱は出るそうで、頭痛が辛ければ痛み止めを出しますよ、と言ってくれたからお願いしました。

腰は、寝ている分には痛くなかったです。
寝返りをうったり、起き上がったり歩いたり、そういう動作は非常にゆっくりなら大丈夫。体重のかけかたとか、だんだん痛くない歩き方をマスターした。
痛みの種類は、表現し辛いけど身体の内側に怪我をしてる感じでじんわり痛い。まぁ骨に針を刺した訳だから、怪我といえば怪我なんだけど。
一番痛かったのは、トイレ(小)の時。手術中は管を付けていたから、そのせいで排尿の時は暫く痛いものだって。
まさか腰の痛みより辛いとは。私が読んだドナーの体験談には書いてなかった。個人差なのか。

父は私の入院期間中、恐らく無理をして仕事の合間に3度もお見舞いに来てくれました。彼氏も一度来てくれました。
二人とも忙しいのに、有難いことです。

腰の痛みは日ごとに軽くなって、退院の日は帰りがけにTSUTAYAのレンタル更新をする程の余裕があった。
自転車に乗るのはまるで痛くなかったから、買い物も不便しなかった。術後一週間もすると、小走りしていたと思う。
多分、世間の印象よりずっと、痛みも負担も少ない。


今回の件で一番大変だったのは、ドナーに選ばれるのか選ばれないのかを待っていた2ヶ月間。
職場には何も伝えられないから、気にし過ぎかもしれないけど、少し肩身が狭かった。
それから、自己血採血の日程調整。病院側では曜日と時間が限られていて、仕事の合間をぬって行かなくちゃならない。これは職場が融通を訊かせてくれて本当に助かった。
ドナーの意思だけでなく、ドナーの周りの人々の理解と協力がないと、提供は難しいということを体験して初めて理解しました。


患者さんは、移植してからが大変だと骨髄バンクの方から聞きました。どんな病気なのかにも寄るけれど、移植をすれば100%治るわけではないそうです。
若い人なら体力もあるけど、年齢が上になるにつれて拒絶反応が起きた際に身体が耐えられなくて亡くなってしまうケースもあるとか……
患者さんが治るのかどうか、心配でした。だけどドナーには、患者さんが良くなったのか悪くなったのか、一切情報は開示してもらえないのが骨髄バンクの制度です。
唯一許されているのは、患者さんとドナーの間でのお手紙。
移植から1年間の期間内で2往復まで、個人が特定される情報が記載されていないか確認する骨髄バンクの内容確認を経てから届けられます。

元気になれば、患者さんからお手紙を頂けるのでは、と待っていました。
だけど半年を過ぎ、7、8、9ヶ月が過ぎても音沙汰が無い状態が続くと、私が提供した患者さんは、治療に耐えられずに亡くなってしまったのではと思うようになりました。
私からお手紙を出す事も考えました。だけど最悪亡くなっていた場合、ご家族が私の手紙を読んで悲しんでしまうかもしれないと思うと書けませんでした。


もうすぐ移植してから1年になるなぁと本格的に患者さんの命を勝手ながら諦めた頃、骨髄バンクから封書が届きました。
それが、ずっと待っていた患者さんからのお手紙だったんです!

お手紙には、今ではすっかり健康体になり、薬も飲まなくて良くなり、会社に復帰できたと書いてありました。
ありがとうという言葉が、何度も書いてありました。
患者さんの治療の方が遥かに辛かっただろうに、私の身体を気遣って下さいました。

患者さんが健康を取り戻せたこと、お手紙を頂けたことが嬉しくて、一人部屋で涙しました。
今までと、これから先の人生で一番、役に立てたと感じた瞬間だったと思います。

父も、職場の方々も、彼氏も、友達も、喜んでくれました。一緒に喜んでくれて、嬉しかった。


提供するにあたって、許可をしてくれた父、サポートしてくれた職場、応援してくれた友人、携わって下さった病院関係者の方と骨髄バンクに改めて感謝します。
それから、この文章を途中で投げ出さずに最後まで読んで下さった貴方も、有り難うございます。

私がこの文章を書いた目的は、骨髄移植(あくまでもドナー側のみですが)の実際を少しでも多くの人に知ってもらう為です。
骨髄バンクに登録している患者さんは、親族で適合者が見つからなかった方です。

HLA型が適合するドナーを待ち続けて、闘病している方が沢山居ます。

これを読んで、ドナー登録をして下さるきっかけになりましたら嬉しいです。
最後までお付き合い下さいまして、有り難うございました。